キリストにある親愛なる友へ。
過去2、3ヶ月の間にミッション・ジャパンの指導的チームの間で、とても特別なことが芽生えていました。私達は、宣教師として、そしてミッション・ジャパンの実行委員会の一員として、自分達のヴィジョンを再度見直しました。そしてやがてそのヴィジョンが新たな光によって、新たなイメージによって(ロゴを読んでください)輝かせられているのが見えだしました。そのヴィジョンに他にどのようなものが含まれていたか、簡単に光をあててみたいと思います。
光の光線・・・
写真を撮っている時、人は事実上光で書いているあるいは描いています。それは魅力的な芸術です。どんな写真も光無しに撮ることは出来ません。同様に、私達の生活もそれ無しに決して存在することは出来ません。さらに、クリスチャンとして私達は三位一体の神が全ての物を創造なさったと信じています。また神は私達に世界のための光であられる―イエス・キリストを分かち合う特権を授けておられると信じています。神の憐れみによって私達はキリストにある再創造に参与するのです。そしてこれはまた私達が日本における私達の召しを経験している仕方でもあるのです。私達は神の光によって、ここで描かれている、神の芸術作品の一部なのです。聖霊による、キリストにあるキリストと共なる人生が私達の光です。それは暗闇によって打ち消されません。私達の召しは単にこの真理を証することなのです(ヨハネ1:4-8)。
Ⅱコリント4章5-6節のパウロの言葉によりますと「わたしたちは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエス・キリストを宣べ伝えています。わたしたち自身は、イエスのためにあなたがたに仕える僕なのです。「闇から光が輝き出よ」と命じられた神は、わたしたちの心の内に輝いて、イエス・キリストの御顔に輝く神の栄光を悟る光を与えてくださいました。」(参照:又ヨハネ1:14)
宣教師としての私達の生活はそれ故、一つのリアリティーを証すべきです。即ち私達の生活にキリストの栄光の光をもたらす聖霊の刻印(あるいは実)です。私達は、愛によって表現される信仰を分かち合うために。私達の行く手と交差する(特に日本人に)遣わされています。究極のゴールは即ち、神の御心ならば、終わりには私達が、神の御言葉の要求に向き合い、彼らと構えることなく共に立ち、そして共に福音を反映する人生を生きるように導かれることです。
新たな虹の(ロゴ)よ、現れよ・・・
キリストの福音の光はまた、互いに対する真実の希望、信仰、愛、平和、そして喜びを証する人生に具体的に反映されます。これは、また虹であると言っても良いでありましょう。―様々な色のスペクトル―他の人によって見られる私達の生活におけるキリストの光です。これは新たな関係、神との契約を証します。それは他者との関係を築く、新たな方法を可能にし、三位一体の神の、主としての支配の新たな期待を造り出すのです。
虹は(ここをもっと読んで下さい)完全な、しかし神秘的な(文字通り漠然とした)光の反映です。最も良いカメラでさえ虹の真の広がりを伝えることは出来ません。でもそれはそこに存在し、可視で、壮大で、完全です。それは神の真の恵みの象徴で、鮮やかに存在すると、同時に神の霊によって隠されているのです。神は私達と共におられます。自分が至らないことを知り、そしてしばしばほの暗く焦点のぼけている主イエス様の光の反映のゆえに、私達はこうも告白します。「ところで、わたしたちは、このような宝を土の器に納めています。」(Ⅱコリント4:7)。
ミッション・ジャパンの働きはそれ故、私達の欠点を超え包んでくれる、神の力と恵みによってのみ可能なのです。それは三位一体の神御自身のお働きなのです。私達はこの特権を分かち合うことを許して下さる神に感謝を払わなければならない!
もっと分かち合いたいことは・・・
Gideon van der Watt (Dr)―ミッション・ジャパンの書記―は(上記の)新しいロゴに関して以下のように書いています。
「それは南アフリカのクリスチャン・教会(色彩に富んだ虹の国家)と、日本(富士山)の間の繋がりを象徴しています。虹は私達にとって神が(この協力関係と召しにおいても)備え給うという約束を表す非常に大切な象徴です。虹の色彩は、神の救いと愛の光を象徴しています。キリストにおける多色彩の(様々な側面を持った)恵みを表しています。私達は聖霊の力によって、世界の中にこの光を反映し、光をもたらすことに喜びを覚えます。アフリカーンス、日本語、そして英語で綴られている‘mission’という言葉は、異なった文化と言語に対する私達の敬意と祝いの印であります。このロゴが皆様にも受け入れられ、そして皆様にとって愛すべきものとなるようにと、願い祈ります。それが私達の協力関係のゴールにとって明確なヴィジョンとして貢献できるように、祈ります。それが私達のアイデンティティの構築と、共同のベンチャーを促進することに役立つことを願います。」
私達は光へのこの聖書的な言及そして、虹と、世界的に良く知られている富士山との結合のシンボル化が―文化的に神学的に―関連があると信じています。それは私達の召しと価値観を照らし出し、導き、また今ここでの私達の働きとヴィジョンに焦点を合わせてくれます。私達は、この単純で、複数の色彩を持った新たに「ブランド化した」ミッション・ジャパンのヴィジョンに関して、もっと沢山のことを皆様と分かち合いたいと思っています。―特に今年の中旬における南アフリカへの最初の派遣の間に。神の御心なら。
神の平和と喜びが在りますように。
Stephan van der Watt (又ミッション・ジャパン指導部と宣教師達の代理として)
虹
虹はミッション・ジャパンにとって特別な意味を持っています。四国のRCJと宣教関係を継続するという決議をしてからというもの、すなわち、それに必然的に伴う全ての努力、犠牲、出費をして、少なくともあと一組の宣教師の夫婦を送り、私達の参加を強化することを決めてからというものそうです。
新たな挑戦と献身を分かち合うために、ミッション・ジャパンからの役員が各個教会を訪れた頃に、神は天に壮大な虹を見せて下さいました。そして再び、(2009年)3月のミッション・ジャパンの会合の後に、BloemfonteinにおいてRCJへの派遣が全て最終的に承認され、Stephan en Carina van der Wattが新たな宣教師として日本に送られると決定された時に、もう一度Bloemfontein (South Africa)の上に虹が現われたのです。
そしてこの頃も又、即ち4月14日火曜日、ここ徳島においてRCJの中会での会合を開始しようとした時、私の朝の聖書日課は偶然、ノアと神の虹に関する箇所であったのです。
中心テキスト創世記8:1「しかし、神はノアを御心に留められた・・・。」
信仰によって箱舟を造るという神の御命令に従った時に、人々が彼が馬鹿げたことをしていると考えていた時に、ノアは何が起こり得るか知らなかった・・・。神が預言されたように、事柄が起こり始めた時に、ノアはとても気が楽になって、興奮したに違いない。しかし今度は、雨は降り止まず、ノアと彼の小さな家族は、広大な水の上で小さな船に乗ってとても孤独であったであろう。そして突如としてどちらかと言えば、隔離されており、孤独で、不確かで、心配な気持ちになっていったのである。
「しかし、神はノアを御心に留められた・・・。」はじめに、彼と彼の家族に憐れみをお与えになったのは神でありました。神はその全能の恵によって彼らを救い、水を渡って新しい土地、そして新しい始まりへと彼らを送ることを決心されたのです。神には彼らのための計画がおありだったのです。神は彼らの生活と彼らの周りにある全ての力を支配しておられたのです。神の時に水が渇き、ノアと彼の小さな家族は新たな世界の土に足を降ろしたのでした。彼らは神の代表、また僕としての新たな人生と役割を始めたのであります。神は彼らを祝福し(創世記9:1)、命令を与えられました(創世記9:1「産めよ、増えよ、地に満ちよ。・・・」)。彼らに権威・力をお与えになり(創世記9:2)、彼らの必要のために備えられました(創世記9:3)。そしてそれから神は、神の御真実と、神の主権と支配、神の守護と、神の愛等の約束と確証である、虹をお与えになられたのです。
私は神がミッション・ジャパンにおいて私達に語って下さったと信じ、未だ私達に御自身の宣教師として語っておられるのだと信じます。特にStephan、Carina、Annlieが、受難日そしてイースターの週末にここに到着した時に、彼らに語られたと信じます。彼らは神によって召され送られたのです。彼らが信仰のみによって従った時に、(彼らが非常に愚かであると考える人もいるかも知れませんが!)、多くの不確かさとチャレンジのある新たな国、ここにおいて新たな生活と働きを始めようとした時に、神が「あなたは私の御心の内にある。私があなたをここで守る。私はあなたを忘れてはいない。私にはあなたのために計画と目的がある。私はあなたの世話をする。だた、虹を見ていなさい。」と。
ノアと彼の家族は何をしたでしょうか。彼らは直ぐに主のために祭壇を築きました。そして主に焼き尽くす献げ物を献げました(創世記8:20-21)。祭壇とは、彼らが主と出会った場所です。彼らが神を認識した場所です。神を礼拝し、賛美し、感謝し、神の前に自らを低くして、神に自らを明け渡した場所です。これが私達の応答であるべきです。そして事実そうなのです・・・。
Tobie de Wet (2009年4月17日Mission Japan News Flashの一部として)
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